老眼で長時間、本を読めません。
しかも、読んだ本の内容を忘れる。
手帳に読み終わた本の題名をメモっていますが、1冊前の本の題名を見ても内容が全く思い出せず、
1時間くらい考えて思い出しました。
そんな中で、『図書館の外は嵐』は、つるつる読める、歌人・穂村弘さんの読書日記でした。
すいません、穂村弘さんの歌集、まだ読んでいません。
エッセイは数冊。楽しいです。
この本に紹介されていた『チャイルド・ファインダー 雪の少女』(レネ・デンフェルド 著)を近所の本屋で見つけて購入。集中して読んでしまいました。
冬の雪山で5歳の少女が行方不明になって3年。チャイルド・ファインダー(子ども見つけ屋)のナオミが、少女を探し、その過程で自分の過去とも向き合う話です。
その中の一文。
” 恥ずかしいという感情は奇妙な獣のようだ。誰もがその獣を飼っている ーーー 退治しなければならないドラゴンを。”
中島敦の『山月記』を連想しませんか?
あちらは虎でした。 ”臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為” で虎となってしまった男。
” 己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。”
『チャイルド・ファインダー 雪の少女』はあっという間に読んでしまい、
そういえばこの小説を、穂村さんはどういう風に書いていたっけ?
と、『図書館の外は嵐』を読み返してみると、予想(ではなく、忘れていただけ)とは全く違った内容でした。
そうか、こういうところに注目。さすが歌人。
本や映画などの紹介って、難しいですよね。
内容が全く分からなくて題名だけで本を手に取ることもあるけれど、
読み始める前にどういう本か知りたくもあり、でもネタバレはされたくない。驚きたい。
映画のコマーシャルなどで
「ラスト10分で驚きのどんでん返し」
的なものを見ると、それ、言わないでよ。って思いますもの。
ちなみに、中島敦の『山月記』は青空文庫ですぐに見つかり、おかげで自宅の本棚を探さなくて済みました。
こんばんは。
私も昨年から老眼が始まり、読書が億劫になってきてしまいました。
コロナもあって図書館に行くことがなくなり、図書館の本て
少々汚れていようがボロかろうが平気だったのに、
今やそれを手に取るのも躊躇してしまう・・・
一度上がった潔癖のハードルを下げられるのは、いつになるやら?
モノを増やしたくなくて新しい本を買うこともご無沙汰です。
自分用に買ったのって、去年の秋に買った「守教」上下。
あとは娘用の本やら漫画やらですねぇ・・・(遠い目)
しかし、ここで紹介されているチャイルド・ファインダーは面白そう!
単なるサスペンスではなく、内省的になるのを促すような文章ですね。
TOKOさん、こんばんは。
チャイルド・ファインダーは社会問題的な要素もあると思います。
一気に読んでしまいました。
私も「二度と読まないし、背表紙を見ても内容を思い出せない本」は
こまめにが売って、モノを増やさないようにしていました。
けれど、同じ本を2回買ってしまう事件が発生し、
売るのなあ、と思っています。とほほ。
図書館、わくわくしますよね。
他の市の図書館に行ったら、本のウィルスを除去する機械が置いてあって
けっこう驚きました。
そうですよね、一度上がった潔癖のハードル。
コロナが収まるまでに、どれくらいの時間が掛かるか、
も関係しているかもしれないですね。
再びこんにちは。
一度手放した本をまた買ってしまう・・・わかる気がします!
その時には、もう何度も読んだしもういいや、って
売ったり捨てたりとかするんですけど、なぜかまた手に取りたくなる!
そういう本、ありますね。
小説ならもう次のページにはどう展開するのかもわかっているし、
エッセイならその著者の考え方は自分のことのように身に染みて
わかっている、それなのに。
またあの文章を味わいたい、というような。
逆に一度読めば気が済むものもあります。
これはもう、その本との相性という気がしますね。
TOKOさん、こんにちは。
そうですよね。
もう読み返さないな、と思ったのに、また読みたくなってしまって。
ミステリーなのに読み返したくなる本とか、
文庫の表紙リニューアルとか、いろいろですね。
発想の転換で、
ブック〇フ=貸本屋、と思う手もあるなあ、と思いました。
一度読めば気が済む本もありますね。
「何これ?!」と腹を立てながら読了とか。相性ですね。