数日前の雨降りの日、病院に行った私は診察券などを忘れたことを思い出し、家まで取りに戻ることにしました。
この頃、やることがみんな裏目に出るような、「世界」と「自分」がしっくりこない感じ。みぞおちがもぞもぞして、落ち着かない感じ。
病院は辺鄙なところにあるので、いちどバスで駅まで出ることにして、バス停まで歩いて、並びました。前から二番目。大通りに面していてバスの本数が多いはずなのに雨のせいか、いつのまにか背後に列が出来ていました。
向こうのほうから、盲導犬を連れた男の人が歩いてくる。
ふと振り返ると、背後に盲導犬とそのご主人がいて、盲導犬くんと目が合いました。さすがにとても賢そうで優しい顔をしている。
「バス停に来られたんですか?」
と、盲導犬くんのご主人に尋ねると、
「そうです」
うーん、困ったな。背後には8人くらい人が並んでいる。雨でみんな傘を差しているから余計に列が長い。この人と犬に引き返してもらうのも面倒くさい。そこで私はちょっと道路側に寄って、
「あの、ちょっと前に出てください」
と、盲導犬くんと、そのご主人に言いました。
「私と場所、かわりましょう。私、ちょっと出掛けるので」
そう言って、列の後ろに移動。心の中で ”ちょっと出掛ける” って意味不明だよ、と自分に突っ込みながら。
列の最後尾に着いて振り返ると、ちょうどバスが来て、盲導犬くんとご主人がバスに乗っているところでした。近くにいた男の人がサポートしたみたい。
私の前に並んでいた高齢のご婦人が、
「次のバスが来ましたね」
とおっしゃり、ほんとに、次のバスが数台後にいました。雨でお団子運行になっていたのかも。
そんなわけで、前のご婦人と私は次のバスに無事に乗りました。
もしかして私、少しは役に立ったかも。そう思ったら、気分が軽くなっていた。実際は後から来たバスの方が空いていたし、盲導犬を連れた人がどう思ったのか分からないけれど、そこは深く考えなくてもいいような気がしました。
こんな些細なことで、何か「流れ」が変わった気がします。
夜、寝ようと横になって、盲導犬くんの顔をはっきりと思い出していました。(ご主人の顔を全く覚えてない)。
そして、「ああ、そうか!」と思った。
盲導犬くんと目が合ったとき、彼(もしかして彼女)は、「ご主人と自分をよろしく」と言葉ではなくて念のようなものを送っていたのかも。というか私が振り返ったのも、盲導犬くんに「振り向かされた」のかも。なんしろ、ばちん、と目が合ったから。
ヒト以外の生き物の考えていることが分かる瞬間って、ありますよね。
私はかつて、公園の横の歩道を歩いていて頭上のカラスと目が合い、咄嗟に前に向かってジャンプしたことがあります。目が合った瞬間、奴が何をする気か分かったから。おかげで、危ないところでカラスの糞を避けることができました。
人は言葉に頼りすぎなのか?
むしろ、人と人との間でも、言葉以外の空気感的なコミュニケーションも大きいのかもしれません。
盲導犬と目が合ったのは、向こうがmakiさんを選んだからと
思います。バスを待つ人々の列を盲導犬が見て、誰とアイコンタクト
取ったらベストな判断をして助けてくれそうか、瞬時に判断したと
思います。あるいは全生命体の神様が盲導犬を導いて手助けしてくれたのだと
思います。「この人に頼んでご覧、きっと助けてくれるから」と言う感じで。
人以外の生命体から信頼されたのだと思います。
レイアとオルガのブリーダーさんの奥様が言っていました。
人が子犬を選ぶのではなく、子犬の側が飼い主を選んでいるように見える、と。
makiさんの今までの行いとか背後を盲導犬が見抜いて、判断したと思います。
よくオーラとか言いますが、私はオーラが見える訳ではありませんが、
このオーラ層は幾重にも重なって、膨大な記録を保持しているそうです。
詳しくは記事に関係ないので、割愛しますが。
犬は必要な何かを見る事が出来るのではないでしょうか。
犬は愛の塊だと聞いた事があります。そういう生き物だそうです。
medical_rodさん、こんにちは。
そうですね。選ばれた気がします。
振り返ったら、盲導犬くんと見つめあってましたし。
私もなんとなく、調子がよくなかったので、
これは、私のためでもあった気がします。
天の配剤、ですね。
子犬が飼い主を選ぶ、って、ありそうですね。
うちに来た猫たちも、どうやって来たのか不明なのですが、
獣医さんいはく、
「『いいおうち、みっけ!』って、選んできたんですよ」と。
そうだよね、と思いました。
持ちつ持たれつです。
犬は愛の塊、ですか。
あの、盲導犬くんの顔を思い出すと納得です。