愛しいヒト

しばらく前、テレビでは矢鱈と動物動画が多かったようです。
子猫が救出される様子もいくつか見ました。子猫というのは意外にも、高いところから降りられなくなったり穴にはまったりするんですね。

子猫の救出のために特殊車両と人員が投入されたり、コンクリートは砕かれるしパイプに穴が開けられる。これが日本人だけではなく、ロシア人だろうと中国人だろうと、やっぱり助けるのですよね。つまり、困った動物を助けずにはいられない、というのは、ヒトという種の本能だと思うのです。

ここで私が連想するのが旧約聖書の創世記の記述です。神はアダムを作ったけれど、「人が独りでいるのは良くない」と、あらゆる獣と鳥を作って人のところに連れてくるのです。人が呼ぶと、それがその生き物の名になった。(まあ、結局、それじゃあね、ということでアダムのあばら骨から女が作られるのですが)。
つまり、人はすべての生き物を対面した。名前を付ける、ということによって「関係」が生じたのですよね。

イソギンチャクとクマノミ、蟻とアブラムシ、蜂と花などなど、すべての生物が(たぶん)他の生物と共生関係にあるけれど、人間くらい多種多様な生物と接点のある種って、いないはずです。家畜、ペットにしている、研究対象などなど。つまりヒトは、地球上の生物の結節点と言えるのではなかろうか。

 

始めてイルカのジャンプを見たとき、圧倒されました。生身の身体のすごさを初めて体感したのかも。動物園や水族館の生き物たちは、人間に、私たちの身の丈を教えてくれる貴重な存在だと思います。

「動物園の動物は閉じ込められてかわいそう」というのを聞いたことがあるような気がするけれど、それも疑問です。動物園や水族館の生き物たちって、油断しきっていたりするけれど、野生動物は命の危険と隣合わせ。どちらがいいかは決められないと思うのです。ヒトに飼われているのはごく一部。生き方はそれぞれ。(自分で選んだんじゃないけど)。

もしヒトが「困っている他者を助けずにはいられない本能」を持っていなかったら、人間社会も現在の環境も、まったく違ったものになっていたでしょう。ヒトは地球規模で環境を破壊して他の生物の皆さまに迷惑をかけている。環境負荷を少しでも減らすことは緊急に必要なこと。
それはそれとして、環境を破壊しつつも、他の生き物たちを愛さずにはいられないヒトという種は、やはり愛しいと思うのです。

2件のコメント

  1. こんにちは。

    小さなよちよち歩きのまだ赤ちゃんが抜けきっていない子どもでも、
    道を歩く犬や猫にキラキラした目で反応したり。
    もふもふに反応するのは本能なのかしら・・・。

    子猫救出もそうですけど、カルガモの親子の引っ越しを地域の人たちが
    サポートしたりとかもありますね。
    ああいうニュースを見ていると、なんだかんだこの世はまだ捨てたもんじゃない・・・
    というほのぼのした気持ちに満たされます。

    動物園に行くと、逆にこちらが見られてるような気になります。
    エサを探して日がな一日サバンナを彷徨わなくていいし、
    襲われる心配もないから、緊張感を持ってはいなさそうですけど、
    でも特に私はネコ科の動物とか、カッコいいなぁ、美しいなぁって思って
    観察していますね。

    アダムは名前をつけるの、楽しかったのかなぁ。

  2. TOKOさん、こんにちは。

    もふもふ反応、本能だと思います!
    ちなみに、猫のほうも人間の子どもは保護対象だそうですね。
    実家の猫たちも、赤ん坊だった姪が泣くと心配そうに、二匹並んで見ていました。

    カルガモの引っ越しも、ほのぼのしますよね。

    動物園、もう何十年も行っていないのです。
    そのうち、行きたいなあ、と思います。
    写真やテレビでしか見ないけど、ネコ科動物の美しさってありますよね。

    アダム、名前を付けるのは、最初は楽しかったとしても、困ったでしょうねえ。
    数がすごいですもの。

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