(紫色の大輪の花。アガパンサスという名だそうです)
この前の土曜日の夜、雷が物凄かったです。
ぴかっと光って、ゴゴゴゴ、ガシャン!
これは近い。稲妻が見えるかもしれない。
そう思って起き上がり、遮光カーテンを開けて外を眺めたけれど、残念ながら稲妻は見えませんでした。
翌朝、起きてテレビの電源を入れたけれど映像は映らず。固定電話も不通。無線LANもダウンしていました。うちはマンションで、J:COMなのでサポートセンターに電話。なかなか繋がらないうちに、テレビはいきなり復旧しましたが、電話は不通のまま。
やがて、サポートセンターに電話がつながりました。「テレビは10分くらい前に復旧しました」と言われて、なるほどと納得。とりあえず待つ、というのも手だなあ。
電話の方も停電の影響とのことで、サポートセンターの人の指示により電源のケーブルをいったん引っこ抜く、という原始的な手段で元に戻ったのでした。
それにしても、朝起きてテレビもインターネットも電話もダウンしていると分かったとき、一種の清々しさを感じました。もちろん、携帯電話は生きていて、いざとなればテザリングすればパソコンでもインターネットが使える、という判断はあったにしても。
さあ、電話もテレビもインターネットも使えない一日が始まる、と。結局、サポートセンターに電話したのだけど。
早く梅雨、開けないかなぁ………。
雷鳴を聞きながら、窓辺に椅子を運んで雷を眺めた子ども時代を思い出し、お祭り騒ぎ、とか、賑やか、という言葉が頭に浮かび、しかし「雷で亡くなる人もいるのに、楽しいなんて不謹慎?」と思ったけれど、雷が不謹慎ならば世界のあらゆるものが不謹慎。
そもそも、不謹慎って?
人の命の重さについて、雷を聴きながら考えた。
「人の命は地球より重い」という言葉を聞いたとき、もやもやした。私が子どもの頃の地球の人口はおよそ40億人。つまり1=40億 ?? と。
そもそも、命の重さは比較できるものじゃない。遠く離れた土地の偉人の死よりも、一緒に暮らす一匹の猫の死のほうがずっとずっと悲しい。
命に「重さ」などなく、あるのは「重み」なんじゃないだろうか。