まだ暑いけれど、昨日から朝の空気が明らかに変わっています。
夏も終わるのだなあ、と思うにつけ、本当の夏を味わっていない気がしてしまう。
けれど考えると、私にとっての夏らしい夏というのは結局、子どもの頃に過ごした土地の夏なのでした。
50年くらい前とはいえ、蛇口から出るのは井戸水で、お手洗いも汲み取り式というのはけっこう田舎だったと思います。斜向かい(とはいえ少し離れている)家では茅葺き屋根の建物が現役で、夏は防空壕でスイカを冷やしていました。
車で30分行かなければ肉を買えない。
けれど、卵はザルを持って歩いて買いに行くのです。
「ごめんください」と声を掛けると、九官鳥が「ゴメンクダサーイ、ゴメンクダサーイ」と鳴き、その声で家の中からおばさんが出てくる。「卵を1キロください」というと、玄関に置いてある古くて大きな秤で量ってくれますが、ときどき「ちょっと足りないから、産んでるか見てくるね」と、鶏舎に行ってしまうのです。
近所にある店は煙草屋さんだけ。菓子パン、洗剤やお菓子などが置いてあって、夏はカップのかき氷を買ってもらったりして。あ、豆腐屋さんがラッパを吹いてやってくることはありました。そんな場所。
夏には盆踊りがありました。近所の神社だったか寺だったか、その境内にやぐらが組まれ、色とりどりの提灯が飾られます。数日の間、夜に練習に通ったのち、本番の盆踊りがあります。とはいえ顔ぶれは変わらないのだけれど、その日は浴衣を着て行くのでした。
子供会の花火。近所の子どもが浴衣を着て集まり、木の橋の上から手持ち花火を川面に向かって差し出したときの、古い写真のような記憶。
そういえば肝試しがあったことも。数人の組に分れて墓場に行き、墓石の上に置かれた鉛筆を持ってくる、というもの。その鉛筆が景品になるのだけど、子供会の役員の大人が墓の陰に隠れていて、鉛筆を補充したりしてくれる。本当の墓地で肝試しって、今でもアリなのでしょうか。
近所に公園というものはなく、どこの家でも適当に花火をしたりしていました。周囲は農家ばかりで、野菜くずなどは浅い穴を掘って、そこに放り込んでしまうのです。その穴に捨てられたスイカやメロンの皮に誘われてカブトムシがやってきます。
アブラゼミの羽化を見ました。
庭の木にしがみついた幼虫の背中が割れて、中から出てきた蝉は羽を乾かすのですが、その体は白くてぼんやり光っているようで、羽は、葉っぱで言うところの葉脈が蛍光の緑色なのです。乾くにしたがって羽は茶色くなり、蝉は幽界の生き物から現世の生き物に変化するのです。
竹薮は遠くの道までつながっていて、その途中には小さな空間があり、美味しい木苺の株があった。男の子たちは何処か謎の場所でザリガニ釣りをしていた。網で塞がれた小さな貯水池にはウシガエルが棲んでいて、他にも何かいたらしい、近寄るのを禁じられていたので分からないけれど。
茂みの奥、木の根元、枯葉の下に、何かが潜んでいる。目を凝らさなければ、運が良くなければ見えない虫や鳥、植物など様々は生き物の、あるいは生きていないものたちの濃厚な気配。
それらにお構いなく、広い畑を吹き抜ける風。
やがて、土地開発がやってきました。
新しい道ができ、新しい小学校が建ったので、バスではなく歩いて通学できるようになったのです。
それまでの小さな世界の外側は、とにかく広くて何もなくて。木が切り倒されて山が崩された跡だったのでしょう、黄土色の土を覆うのは地面を這う葛ばかりの原っぱを、平らなアスファルトの道が大きく切り分けていました。
不思議なことに、新しい道の横を、澄んだ湧き水が流れていたのです。剥き出しの黄土色の土の上を流れる澄んだ水。もう、山も木もないのに。しばらく流れ続けて、いつの間にか、すっかり涸れ。
やがて近所の家は一斉に立ち退き、あの場所に何がされたのでしょう。しばらく経って、土地を持っていた人たちは、戻って新しい家を建てたそうです。私の家族は借家に住んでいたので、そのまま別の場所に引っ越したのですけれど。
かなり時が経ったあと、再びそこを訪れたときの驚き。
まず思ったのは、こんなに狭かっただろうか? ということ。私が大人になっていたから当然なのか。
かつて防空壕があった家は大きな木造住宅に建て替えられて残っていたけれど、友達の家だった場所は小さなアパートが建ち、畑だった場所にも普通の住宅が建っていました。ありふれた田舎の住宅地。何かの濃密な気配も存在感も、風もない、空虚でのっぺらぼうな、ただの空間。
私の好きだった土地は、もうないのだ………。ちょっと呆然とした記憶があります。
あの土地での夏が、私にとっての理想の夏だったのです。
失われてしまった、理想の夏。
これから、別の ”夏らしい夏” を、見つけたいのですけれど。
こんばんは。
TAMAKIさんの原風景ですね、一篇の小説を読んだよう。
私の母方の祖父母の家周辺と、何だかよく似ています。
その当時の日本の田舎ってどこもそんな感じだったのかしら。
トイレも汲み取り式だったし、祖父母の家はもともと旅館だったので
瓦葺でしたが、周囲の農家の屋根は茅葺か藁葺かで、
土間があったりしました。
駄菓子と漫画雑誌、週刊誌が置いてあるおばあちゃんが
一人でやってるようなお店と、
文房具と体操服を売ってるお店、菓子パンやおにぎりを売ってるお店。
あと、美容室。
少し歩いた所に小さなパン工場があって、そこで焼き立ての
クリームパンを買ってもらったり。
田舎でも駅前だったからでしょうね。
川があって山があって、淀んだ水たまりの近くに行くと
泥臭いような水臭いような、なんとも言えない匂いもしてきて。
セミの羽化の様子、神秘的ですね。
最初は乳白色なのに、あんな地味な色合いに変わっていくって
不思議・・・。
今年は猛暑で、田舎も暑そうです。
TOKOさん、こんにちは。
ほんとに、この数年の猛暑では、田舎も暑そうですね。
昔の田舎はどこも汲み取り便所が定番でしょうし、
昔は良かった、なんて簡単には言えないものがあります(笑)
なるほど、お祖父さまお祖母さまのお家の周辺、
似た感じがありますね。
たしかに少し、都会(?!)ですけど。
田舎の小さな店、というと、店番はやっぱり、おばあさんですよね。
元旅館の家なんて、子どもにとって、もうわくわくしかない、
って感じですね。
”小さなパン工場の焼きたてクリームパン” なんて、どう考えたっておいしそう。
食べてみたいです。
気候が変わってしまったけれど、
今の「夏らしさ」を見つけたり、
後の世代の人たちのためにも、小さな事でも、何かできたらいいですよね。
当時は縁側に座って、目の前の植木に止まった蝉の羽化を見たのです。
今も蝉は周囲にわんさかいるので、
実は夜な夜な、木の高いところで蝉は羽化してるんですね。