砂の曼陀羅と安息日

急に涼しくなりましたが、私はなんとなく、しっくりこない毎日を過ごしています。

何がしっくりこないのかも不明。
さしあたって必ずやらなくてはならない事がない、体調もまあまあ大丈夫、という呑気な状態での贅沢な違和感かも。

けれど、それだけではない気がするのです。
何かに追いかけられているような焦燥のようなもの。

 

無駄な行動に耐えられない

元気があるときは、効率ばかり考えてしまいます。「やらなければ」と思うことがいくつもあって、「今日はいくつクリアできるか?」みたいな感じ。
隙間の時間にも何かできることがないかと考えてしまいます。

それに、目的のない行動ができないです。
休憩するときも、のんびりするというより「リラックスするぞ!」みたいな強迫観念であったり。

 

どこかの仏教寺院(なのか?)では、色のついた砂で曼荼羅を描き、完成すると壊すのか放置するのか、ともかく消えてしまうそうです。完成したら壊してしまうもの、記録にも残さないものを長い時間掛けて丁寧に、技巧を凝らして作るなんて私には無理です。

そういうことをやってみたら何か変るのでしょうか。とはいえ、手軽にできるものではないですね。

 

インターネット、微妙に中毒

インターネットがない頃はどうしていたんだろう? ってくらい、ネットがなくては生活できないです。乗り換え案内とGoogleマップがないと何処にも行けないかも。

思い出せば、昔は電車の路線図を見てルートを考えていたし(なので、乗り換えできると思った駅の構内をものすごく歩いたり)、初めて遠い場所に行くときは地図をコピーして貼り合わせ、蛍光ペンでルートをなぞって曲がる交差点もチェック(して、車のハンドルの上に地図を置く………ってダメなやつ)してました。

今は運転はしないけど、出かけると乗り換え案内を何度も見ています。これも無駄な回り道や遠回りをしたくない、という、さもしい意識かも。

なので、なるべくアプリを見ないで出かける練習をしています。とほほ。

 

地図アプリだけではなく。
以前だったら、「知らないけど、わざわざ調べない」ってことまで、検索しないと気が済まないようになってしまいました。知らないことを知らないままででいられないって、ちょっと病的かも。

知らないことをもっと放置してみよう、と自分に言ってみるのですが、けっこう難しい。

 

何かやっていないと損をした気分

なんだか分からないけど、頭の中が忙しい。
そう考えて思い出したのが、ユダヤ教の安息日。

安息日って、(今も守っている人たちは)働かないだけではなく、文字も書かない、電気製品のスイッチも押さない、なのでテレビ・ラジオ・インターネットは使わないそうです。料理も前日に作っておく。一体、何をやっているんだろう。「読む」はOKなのでしょうか? 読み、食べ、語り、祈り、ということだけの日が週に一度はあるって、すごいです。

(ちなみに私は子どもの頃から30歳くらいまで毎週日曜日に教会に行っていたけれど、教会でもいろいろ忙しかった。人間関係(!)で疲れたりして、今は行っていません。
けれど、礼拝の始まる前、静かな会堂にオルガンの音だけが流れる穏やかな時間は好きだった。)

 

安息日みたいな生活を、週に一度は無理でも、
月に一度くらいやってみたら何か分かるだろうか? 何か感じるだろうか? 形だけを真似ても駄目だろうか?

 

日々をどう過ごすか。
身体と心にとってちょうどよい生活って、どうすれば送れるでしょう。

4件のコメント

  1. こんばんは。

    私も立派なネット依存症です。ゲームはやらないですが、
    映画もタブレットかスマホで、音楽もPCのアプリかYoutubeで。
    スマホを失くすか壊すかしたら、連絡先のデータも全部わからないから
    自宅と実家の電話番号くらいしかわかりません。ヤバいですね。。。

    そもそも、テレビもない時代の人ってどうしてたんだろう、と
    考えてしまいました。
    ラジオはあったのかな?でもその前って・・・
    そもそも電気がなかったから、暗くなったら行灯とかろうそくしか
    なかったわけで、娯楽も乏しかったのかなぁ。

    ユダヤ教の人の安息日の過ごし方は極端でも、
    神様が「休みなさい!」って命令してるんですもんね。
    うん、でも確かに現代人はやることが多過ぎですね。
    特に主婦は休めない。
    休日の方が、むしろご飯の支度の手間も増えるし、サボったら
    後でツケが来るからと思うと、結局ルーティン作業はこなしちゃえ、って
    なってしまう。

    なので、休日の唯一の楽しみは二度寝、みたいな・・・
    それも、家族の朝ごはん用意しないとな。。。。と二度寝だってままならない。

    ユダヤ教の戒律を守ろうと思ったら、病院に入院するとか
    温泉宿に一泊するとか?くらいはしないと。

    なんだかんだ、人間て働くようにできているのですかねぇ。

    1. TOKOさん、こんにちは。

      そうですよね、主婦は休めないですよね。
      うちは子どもがいないし、夫が家事もやってくれるから、
      私は野放し状態なんですけれど。

      テレビもラジオもない時代、
      貧しい人は夜も働いていたかもしれないし、
      集まって神話とか民話なんかを話していたかもしれないですね。

      ほんとに、便利になったはずなのに、忙しいですよね。
      休みなさい、って、確かに神さまの命令、って気がします。
      「休まないと正常に動作しない仕様ですからね!」みたいな。

      私も電話番号、自宅と実家くらいしか覚えていません(泣)。
      でも、小心者なので、ものすごく小さな住所録を持ち歩いています。

      1. またまたこんにちは。

        私も小さいアドレス帳くらい持ち歩いた方がいいのかもしれません。
        何かあった時のために、実家、夫、弟妹の連絡先とか。
        あと、教会の牧師とか特に仲良くしてもらってる友達とかとか・・・

        ぜーんぶ、スマホの電話帳に入ってますもの。
        スマホを落とすか壊すかしたら、もうアウト。
        頼りきってしまっていますね、ほんとうにヤバいのだと
        改めて思いましたよ。

        ところで、人間、休まないと壊れちゃう仕様って言われて
        ほんとそうかも!って思いました。
        若い頃は多少の無理もきくかもしれないけど・・・
        でもそのツケは忘れたころにやってくるって気がします。

        1. TOKOさん、再びこんにちは。

          ほんとに、若い頃の無理って、
          後で来ますねー!
          うん。そういう仕様なのでしょう、と忘れないようにしようと思います。

          アドレス帳、お勧めです。
          私は小心者&デジタル機器を信用していないのです。
          昔だったら私も教会の連絡先は………暗記してました。
          あ、今も電話番号は憶えてます。

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