「なんか、年末って感じがしないよね」
という感じの言葉を、数人から聞いたのです。
私もそう思います。
特に我が家はひどい有様で、
玄関には12月24日に出したクリスマスの飾りが、まだ散乱しているし、
大掃除など、もう諦めてしまいました。
庭も荒れ果てて、この鉢にだけ花が咲いています。
ビオラ(多分)は、今年の秋に植えたものが、
まだ咲いてくれています。
シクラメンは去年購入。
まったく世話をしなかったのに、よくぞ二輪も咲いてくれたと思います。
秋に蒔いたラディッシュは、もしかしてそろそろ収穫していいのだろうか?
うちのベランダでは、ご近所の鳥の皆さんに水飲み場を提供しているのです。
春には、水飲み場のそばにラディッシュの種を蒔いたものだから、
せっかく大きくなったラディッシュを、鳥さんに齧られてしまいました。
なので、
秋には場所を変え、今のところ無事です。
それにしても、この寒いのに、
鳥たちはバシャバシャと水しぶきを上げて水浴びします。
少しずつでも身体を動かそうと思って、
毎日、簡単なヨガと、太極拳の八段錦(簡単な体操っぽいもの)をやっていましたが、
年末のばたばたに紛れて、すっかりサボっています。
習慣って、案外もろい!
けれど、学生時代の文化人類学の先生の言葉を思い出します。
先生は黒板にまっすぐ横線を引きながら歩き、
「こうやって、日常がずっと続いたら、どうなると思いますか?
人間は死んでしまうんです」
つまり、人間にはケの日(日常)から逸脱して、
常識のひっくり返るハレの日(非日常)が必要、ということらしいです。
そりゃあもう、命にかかわるくほどに、必要なものなのだと。
年末年始というのは、ハレの日ですから、習慣の一時中断もよいことにします。
とはいえ、この二年ほど、
私たちは「非日常」を強いられていたわけで、
非日常が長く続いたら、たまったものではないですね。
日常が部分的に失われ続けているなかでの、
年末年始という非日常。
例のウィルスからしたら、
せっかく、コウモリからヒトという広大な居場所を得たのだから、
人間に滅びられては元も子もないわけで、
大幅に人数が減っても困る。
だから、落としどころを探っているんじゃないかしら?
という気がします。
なので、日常が戻ってくる日も、
それほど遠くないと想像しています。
大切なものは、心の自由。
心の自由のためにも、身体を整える。
とはいえ、身体的に何かの制限を受けていても、
私たちは、心を自由に保つことはできるはずです。
来年もそうやって、
考えながら過ごしたいと思います。
このサイトに訪問してくださった奇特なあなたにとって、
来年が穏やかで楽しい、
そして自由を感じられる一年でありますように。
ラデッシュの手前にパクチーの芽が沢山出てるやん?
ふふふ。
実はミニキャロットでした。
しかし、育っている気配が全くない。。。