子どもの頃に住んでいた土地がけっこうな田舎で、道端の草の実、木の実などをむしって食べていたから、植物には、どちらかというと詳しいと自分では思っていました。
けれど、この歳になって気がつく植物の有り様があったりします。
毎年春になると、わあ! 春の雑草が生えてきた、とテンションが上がります。
けれど、ハコベやホトケノザなど春に咲く花って、冬にも地味に咲いてることがある、と、ここ数年で意識するようになりました。
冬になると枯れ尽くすのではなく、花を咲かせずとも、細々と生えてる草が結構多い。
それから、
植物って、種を蒔いて芽を出したら、程度の差こそあれ必ず変化するものだと思っていました。
日陰の植物はひょろひょろ伸びて日光を探すだろうし、駄目なら枯れてしまうのだろうなあ、と。
ところが、昨年の秋に種を蒔いたラディッシュが、全く育っていないのです。
全然、育ってないです。芽を出してからずっと、こんな感じです。
ここの土は栄養がないみたいなのです。
ちなみに、日当たりがよくて栄養たっぷりの土(買ったもの)に蒔いたラディッシュは、こんな感じです。
芽を出したけれど茎が曲がり、ラディッシュっぽい球にならなかったので放置していたら、この通り。
そのうち花が咲くかもしれません。
食べちゃったラディッシュもけっこうあります。
痩せた土地で芽を出しちゃった植物は、ただただ同じサイズで、じっとしている。
これって、けっこうすごい気がします。
じたばたしないで、そのまま、時が好転するのを待っているのかもしれません。
あるいは、「まあ、別に大きくならなくてもいいや」ということなのかも。
成長すること、変わること、が正しいと思いがちなのですけれど、生物としての有り様は、「変わらない」という戦略もありなのだなあ、と妙に感心しました。
こんにちは。
植物の何気ない佇まいにも、何かしら理由があるんでしょう。
そういえば、いつまで経っても大きくならない花や木とかありますね。
土地が瘦せているのかぁ。
ラディッシュもずっとそのままで実がならないままなのかもしれないですね。
そう考えると、森など伐採して耕作地とするような開拓って
すごい作業ですよね。
その昔、バイオ肥料などなかったでしょうし
土地が肥えるようになるまでには、長い年月が必要だったのでしょう。
自然から教えられることって多いですね。
TOKOさん、おはようございます。
そうですね。何気ない植物たちにも、人生(?!)があるのでしょうね。
植物が大きくならない盆栽は、特殊例だと思っていましたけれど、
植物の自主判断の場合もありそうです。
開拓、特に昔はとんでもない労力だったでしょうね。
畑を放置し続けると、植物の種類が入れ替わりながら、
やがて森に戻ってしまうそうですし。
耕す、という行為自体が二酸化炭素を発生させるそうです。
それも、けっこうな量だそうです。
植物に全部任せれば、地球の(生物にとっての)環境にはよいのでしょうが、
人間も、なんとか見習えるといいですね。