かなり若い頃から、ルナールの『博物誌』がお気に入りで、
旅行に持っていく本に困ったら、この本を鞄に入れていました。
なんとなく安心するのです。
身近な動物たちに関する文章が並ぶのですが、最初の一遍は「影像の猟人」。
朝早くとび起きて気持の澄んだ日、「彼」は出かける。
その目が網の代りになって、いろいろな影像がひとりでに引っかかる。
これが「彼」が獲物?なのだそうです。
テレビ番組に動物の映像がでるとき、
「お腹すいたにゃあ」
みたいな声が被せてあるとがっかりするのですが、
ルナールの視点は、たぶん他の生き物たちと対等なのです。
下手な喩えだけれど、
「そのパン屋は早朝に起きだし、粉を振るう前にまずコーヒーを一杯飲む事にしている」
とか、
「隣の住人は今日も馬鹿げた大きさの鞄を持って出ていった」
というのと変わらず、雄鳥や牛について語るのです。
散歩のときはたいがい、「影像の猟人」連想します。
私は俗人なので、スマホのカメラで写真を撮るのですけれど。
いつもの曲がり角を逆に曲がったら、知らない風景に出会えてとても楽しいです。
歩いたことのない道を歩く、少しの不安と焦る気持ち。
あの角を曲がったらどんな風景があるのか。
この横道に入ったら、何があるのか。
桜はもう葉桜。
謎の朽ちかけた掘っ立て小屋や建物があったりして。
知っている場所に、いつもとは反対側からたどり着きました。
鳥の声ってよく響きます。
これは、別の日に別の場所で見つけた、根性スミレ。
歩道のコンクリートの隙間で咲いていました。
家では、傷んだ革の鞄を革用染料とオイルで補修したり、
欠けた茶碗を金継ぎで修理中であったり、
芽が出てしまったジャガイモを庭に植えたり。
なんとも呑気な生活。
ということにしておきたいと思います。