(写真は病院帰り、公園を眺めたもの)
ラーメン屋でもスーパーでも列に並ばない私ですが、この病院では、待合室が開く前から外で並んでいます。精神科医の中には、喩えではなく本当に1分で診察と薬の処方までする医師もいますが、この先生はひとりひとりの診察時間が長いので、早く行かないと午前中のうちに家に帰れないからです。
病院の前の行列はいつもよりも人数が少なく、屋外であるし会話をする訳でもないので新型コロナウィルスへの感染リスクはかなり低いと思います。
診察開始の45分くらい前には待合室が開きます。受付に診察券を出すと、今回は看護師さんがピッピと(音はしなかったけど)全員、検温。
診察が始まる間際に来た高齢のご婦人が、順番をすっとばして真っ先に診察室に呼ばれたのでした。もしかしたら、事前に連絡されてたのかも。
私が診察室に入ると、先生はプラスチック製と思われる透明マスク。こちらは紙マスクです。いつもならば私は、どんなところに行ったかを報告し、誰のライブだったか、とか、観た映画はお勧めかどうかなどを尋ねられたりするのですが、今回は「ほとんど出掛けていません」。先生からの質問も、私の接触した人に新型コロナ感染リスクがどの程度あるか、なのだと途中で気がつきました。待合室で誰かと話したかどうかも尋ねられたのでした。
院内感染など、あってはならない。でも、もしもに備えて高齢の方を早く帰したり、待合室での接触も把握しておく。病院の、先生の真剣さが感じられました。入院患者もいるし診察も止めるわけにはいかない。緊張感は大変なものだと思います。
いまさら気が付いたのですが、私の病気はパニック障害で、遠くに出掛ける前に緊張したり、出掛けた先でパニック発作を起こしそうになるのですが(頓服薬でコントロール可能)、逆に言えば、それだけが症状。なので、外出しなければこの病気も無効化されてるのでした。
おかしなものです。
この病気が酷いときは、身体が勝手に緊張して飲まず食わず動けず、じっと丸2日徹夜したこともあるし、一人で留守番すらできない時期も長かったのに。
さらに考えれば、今の私たちの不安というのは、この新しい病気に、決定的な治療法がないこと、医療崩壊を起こせば医療を受けられなくなる可能性があること、が大きいと思います。
しかし、現代でも石鹸もきれいな飲み水もない暮らしをしている人もいるし、ほんの数十年前であっても、多くの病気に決定的な治療法はなかった。そう考えると、「現代」の「先進国(といわれる国々)」に暮らす私たちは、かつてなく安全で生命の危険が少ない環境で生活している、と改めて気が付くのでした。
こんなときだから、自分がどういう世界に生きているのかを考える。
新しいウィルスが人間界に侵入してきた。今までも繰り返し、起こってきたこと。どこぞの大統領は「私たちはみな、どうせ死ぬのだ」と言ったそうで、まさにその通り。でも、それを言ったらおしまいですよね。ヒトは、よりよく生きる努力を続けてきたのですし。
人類全体としては、できる限り最低限の痛みでウィルスにはおとなしくなってもらいたい。個人としては、自分が掛かって苦しい思いをしたくないし、身近な人にも感染して欲しくない。そのために冷静に、できる限りのことをやっていこうと思います。視野狭窄ではなく、俯瞰だけでもなく。