なんだか疲れたなあ、と思って考えると、しばらく一人でぼんやりしていない、と気がついたのでした。完全に一人で。
先日、姪といっしょに少し離れた街に出掛けました。滅多に行かない街です。お店がたくさん入ったビルがいくつもあり、裏通りはごたごたとした街。姪の都合がなければ、選ばなかったでしょう。
22歳、23歳の頃の私にとってその街は通勤の乗り換え駅。そして、特別な街。あまり深入りしたくない街なのです。残念ながら、「元カレが住んでいた」などという穏やかな記憶の街ではなく。なので、今でも特に用事がない限り好んでは行かないのです。
久しぶりに一つのファッションビルに足を踏み入れ、ふいにそこに、お気に入りの店があったことを思い出しました。ビルは中身が丸ごと入れ替わっているので、もう残っているはずもない店。
その店は5階あたりにあって、地味な入口から入ると中は大きな窓と観葉植物の緑。特におしゃれな内装ではなく、ただ明るく、席は細かく区切られていて安っぽい植物で仕切られていました。明るい隠れ家のような店。
当時の私は、疲れたな、と思うとその店に行き、何時間も何もしないでじっとしていました。そうすると、胸のうちに何かがひたひたと満ちてくるのを確かに感じたのでした。
そういえば、そういう体験は何年もしていません。何故だろうかと考えると、簡単に思い至りました。スマートフォン。いつもネットに繋がっているから、完全に孤独ではない。この小さな機械の存在は「私」にいつも付属している。
けれど、この小さな機械を持たずに出掛けるということは、パニック障害持ちの私には無理。では電源を切ったらどうだろう。
あの喫茶店を思い出すと、私の中では「夢のような」という形容が付くのですが、そんな場所をまた探そう、と思いました。明るくて静かで居心地のよい場所で、小さな機械の電源を切れば。夢のような喫茶店が出現するかも。