出鱈目がたりない

テレビアニメの『サザエさん』の歌詞って、改めて考えるとけっこうすごいです。

「お魚くわえたドラ猫 追っかけて
 素足でかけてく 陽気なサザエさん」

食卓か台所にあったはずの魚を、野良猫が咥えて逃げていく、
って、けっこうなシチュエーションだけど、
この番組が始まった当時(1969年だそうです)は、
そんなに違和感はなかったと想像されます。
なぜならば、この部分の肝は、サザエさんが「裸足で追いかけていく」ですもの。

これは歌詞の1番だけど、「お魚~~」にあたる3番の歌詞は、
「買い物しようと街まで 出かけたが」
ですし。いたって日常。
(ちなみにテレビでは、1番と3番が流れているのだそうです。)

 

今ではありえない。
せいぜい、飼い猫が食卓のシシャモを皿から引っ張り出して、
飼い主はメロメロで動画を撮り、ネットにUPするかも。

まあ、猫は人と暮らしたほうが楽だし安全だし、
美味しいものも食べられるし、幸せだと思う。
「人間の文明は猫の幸福のために発展したのだ」
という文章をどこかで読んだことがあり、それに完全同意します。

でも、野良猫には野良猫の幸福があり、
野良猫として生きる権利がある。
地面は人間だけのものじゃないのに、
なんで、人間と紐づいていない犬や猫は、「処分」対象になるんだろう?
こんな思い上がり、いつかしっぺ返しを食らいそう。

野良猫さんが家に入ってくる、なんてことが、うっかりあり得る家ならば、
きっと虫だって入り放題。
だから、「昔はおおらかで良かったね」と、単純には言えません。

 

というか、昔は酷かった。
駅の周辺では煙草の吸殻が落ちて濡れて悪臭を放っていたし、
汲み取り便所に片足落ちるし、
空地に穴掘って、生ごみとか捨ててあったし、
バスなんて時間通りに来ない(あ、これは今もか………)。

でも、今はちょっと、日常の中に出鱈目が足りない気がします。
物事がシステマティックに進むことが正義で、
みんな、良識と常識、ルールを守って生活している。
なんとなく外でもマスクをして、人に迷惑になることはやらない。
「ゆとり」とか「余裕」も上品な枠の中。

ネットの世界では
それぞれの良識、常識を戦わせる無法地帯………
に見えて、けっこう狭い「界隈」の中にいたりして。

この息苦しさ、窮屈さを突破するものって、
なんだろう? と考えているのですけれど。