箱根に飽きたなんて、もう言わない

久しぶりに箱根に行きました。

夫はどうやら変化を好まないタイプで、
もう何年も前から、我が家では旅行=箱根なのです。
たまには、違うところに行きたい………と思ったけれど、
例の感染症の流行で行けなくなったとき、
「飽きたなんて、もう言わない」
と、思ったのでした。

 

私たちは、判で押したように、家を出発したら同じ場所で休憩し、
それから、ガラスの森美術館の中のレストランで昼食を摂り、
同じホテルに宿泊します。

ガラスの森美術館は、誰が撮っても絵になる風景。

このレストランはカンツォーネが売り物で、イタリア出身の音楽家たちによる曲の演奏と歌が聴けるのです。
しかし、今は演奏はやってないだろうなあ、
演奏者の人たち、どうやって暮らしているんだろう?
と、少し心配をしていたのですけれど、
お店に行くと、どうやら、その演奏家の方に席まで案内されました。
ホールスタッフとして働いているらしい。
感染症が収まったら、また演奏に復帰なさるのでしょう。
今回はヴァイオリンの人が一人で、演奏しながら店内を回っていました。
素人が聴いても、とってもお上手。

 

 

本当は、どこでも眠れて、なんでも食べられる人になりたいけど、
私は食べるという行為に緊張を覚えるので、
自宅以外では、ものすごく小食です。
なので、毎回、同じホテルに泊まるのは、精神的は負担が非常に軽いのです。

頻繁ではないにしろ、何年も通っているので、
チェックインしても、施設の説明はなし。
古い(というか、歴史ある!)ホテルなので、カードキーなどという無粋なものはなく、
木のスティックが付いた鍵を渡されます。
部屋に行くと、何年も前にお願いした、低い枕が置いてあるし。

 

変わらない部屋、変わらないラウンジ。

ラウンジでは、夕方になるとピアノが自動演奏を始めます。
私はいつも同じ、柱の陰の席で日記を書いたり、本を読んだり、写真を撮ったりして遊びます。
やがて空から光が失われ、かわりに太陽の光を受けた宵の明星が輝きます。

夕食のためにレストランに降りてゆくと、
「女性のかたは、お食事の量を少な目になさいますか」
と、訊ねてもらいました。
いつもいつも、コース料理を全て半分にしてもらっているのです。
ハーフポーションでも食べきれないのが悔しい。
けど、他のお店での食事の3倍程度は食べてます。
レストランに顔見知りの方がいるので、寛げるのだと思います。

 

たった一泊だったし、帰るのが寂しい、と思いました。
そして、なによりも思ったのが、

変わらないでいてくれて、ありがとう。

でした。
たぶん、「変わらないこと」が、歴史あるホテルの使命なのです。
客は絶えず流動し、従業員の方々も少しずつ入れ替わる。
そうやって、ずっとそこに在り続けるということだけで、
そのホテルには価値があると思います。