私の両親はクリスチャンで、母方の祖父は神主だった。友人にそう言うと、「お母さま、改宗されたの?」と言われ、その発想はなかったなぁ、と思ったのでした。
母がクリスチャンになることを反対された、という話は聞いたことがない。
母の実家は遠く離れた島にあり、祖父は私が十歳のときに亡くなってしまったので、私は会話した記憶がない。
祖父は村役場に勤めていたと聞いていたので、神主というのは本格的ではなかったのだろうと長年、うっすら思っていた。しかし母は以前より実家の話をすることが多くなり、そうでもなかったのかもしれないと思うようになった。
母の話は気ままで断片的、思い出したままに語るので、私もすっかりとは分からない。ただ、「お神楽を舞っていた」、「笛の練習をしていた」、「お札(だったと思う。私が忘れてしまったのだが)を書いていた」というから、やはり、ちゃんと神主だったんだなあ。
先日は、何の話からだったか、母が昔を思い出し、
「なんだか、棒を持ってこう、踊ったり、鈴を持って踊ったりしていてね」
などと言う。鈴というのは葡萄のように先端に鈴が集まったものだったというから、ネットで検索したら「神楽鈴」というものらしかった。
「カラス面を付けて」
と、母が言う。カラス面? またしてもネットで検索するが、鴉面、もしくは烏面、どちらもコスプレ的なものしか表示されず(!)、結局、どういう由来のものなのか、正確にはどんな形でどんな用途のものか分からない。コスプレのネタになるような面をおじいちゃんが付けていた? 鴉面、気になる。ネットではなく書籍をあたってみると、何か見つかるだろうか?
無理な話だけれど、祖父母と会話をしてみたかったなあ、と思う。私はキリスト教的な価値観の中で生まれ育ったけれど、祖父母はどんな世界を生きていたのだろう。
とはいっても不思議と、大きく隔たっていた気はしない。
母から聞いた祖父のエピソードで、気に入っているものがある。
戦争中、国から鉄の供出を求められた祖父は、夜にこっそり船を出し、持っていた刀を海に沈めてしまったというのだ。
月の明るい夜に沖に漕ぎ出された小さな船のシルエット。そんなイメージが浮かぶ。
母の話から想像する祖父は気が強いわけではなく、むしろ繊細であった気がする。朝はいちばんに起きて火を起こしてお湯を沸かしていた、とか、母が裁縫の授業で使う布を、あか抜けた柄を選ぶためにわざわざ遠い町に買いに行ったとか。
その祖父が、神主であった祖父が刀を海に沈めたのはなぜなのだろう。
国に取られるくらいなら海に沈めてしまおう、というような激しい思いがあったようには思えない。むしろ、美しい刀が熔かされること自体が忍びなかったのか、熔かされて無粋なものに変えられるのが嫌だったのではないか、と勝手に想像している。
水没した刀はやはり、今は跡形もないんだろうか。それとも、もしかして、有り得ない気もするけれど、今も海の底に沈んでいるんだろうか。
