安全ではありません

安全なハズです

相変わらず、このサイトのURLの欄にな「安全ではありません」と表示されますが、SSL化というものはしているのです。

ただ、このサイトの設計図のどこかに「http://」というものが1つでも残っていると、表示は消えないらしい。そもそも、知識なく独自ドメインなど取得してブログを始めるなんて、無謀でした。まだ、時間がかかりそう。

 

BODY AND SOUL

いきなりですが。

私は両親がクリスチャンで、物心ついたときには既に教会に通っていたので、たぶん発想のベースもキリスト教的価値観なのです。

そのせいなのか、かつては「身体」は「精神」に従わせるべきもの、と思っていたのです。意識して身体をコントロールしたり、鍛えたり、酷使したり。

 
肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。
 
聖書(新共同訳)ガラテヤの信徒への手紙/ 05章 20節、21節
 
 
これは使途パウロの手紙の手紙の一部。敵意とか利己心も、「肉の業」にカテゴライズされていて、対比する「霊」は喜びや平和など、いいものばかり。
 
 
これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。
 
同・ガラテヤの信徒への手紙/ 05章 22節、23節
 
 
この部分だけではなく、数ヶ所にネガティブな感情は「肉の思い」とされています。なんでパウロはこんなに「肉体」が嫌いなのか、不思議。

とはいえ、キリスト教では自殺は罪とされているらしい。自殺を禁止する具体的な記述はないはず。ただ、旧約聖書のどこかで(ざっくりしてるなあ)自分の身体を傷つけることを禁じられていたか。

仏教は自殺は禁止していないようだけれど、詳しくないのでここでは沈黙。

 

身体で考える

パニック障害になって十人以上の精神科医に会い(今の主治医には十年くらいお世話になってます。たぶん、最後のひとり。)、過去には医師にカウンセリングを勧められて受けたり、いろいろあって今、思うのは身体の大切さです。

精神に肉体を従わせようなんて、なんて傲慢!

むしろ身体に「本当はどうしたい?」と尋ねるくらいのほうがいいみたいです。歩きたいのか休みたいのか、何を食べたいのか。その人に会いたいか会いたくないか。

暴飲暴食などは、身体がほんとうにやりたいことではないような気がします。(私は多量の食料は受け付けないので、あくまで想像)

 

身体って、私にとって「環境」であり、いちばん身近な自然物。したがって、コントロール不能。

身体と上手につきあうこと、身体と精神と魂がうまく調和していること。それが理想だけれど、糸口が分からないのです。